小野寺愛のESYA報告(2) 「It’s time for Edible Education – 今こそ、エディブル教育を」

こんにちは。小野寺愛です。報告2回目となる今回は、なぜ今、エディブル教育が大切なのかという話を書いてみます。

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米国の社会背景と食事情

ESYの取り組みがスゴい、という話をすると、
「ガーデン授業? トマトや大豆なら、日本でも理科の時間に育てているよね」
「家庭科室もすべての学校にあって、調理実習をしているし」
「みんなで作ってみんなで食べることが、そんなに大切?」

という声も聞こえてきます。

でも。
ここでおさえておきたいのが、米国と日本それぞれの社会背景と食事情です。

ESYの実施校、マーティン・ルーサー・キング中学校では、全校生徒1100人のうち約半数が給食費の補助、または全額免除を受けている低所得者層です。米国人の7人に1人が相対的貧困層という深刻な経済格差が広がる中、日々の食卓にのぼるのは安価な加工品をレンジでチンしたものという家庭も少なくありません。「家族の誰かが作った食事を、家族みんなで食卓を囲んで食べる」という体験さえしたことがない子どももいます。

また、米国の学校給食の内容も、たとえば「あたため直した冷凍ピザと、缶のグリンピース」や「あたため直した冷凍マカロニ&チーズと、缶のコーン」のような、いわゆるファストフードが一般的。無料で提供されるものではなく、1〜2ドルを支払ってそれを購入するか、自宅からサンドイッチなどの軽食をランチに持参します。

畑から食卓がつながっている実感を、もはや家庭や地域で得ることが難しくなっている米国では、学校菜園の導入は緊急課題であったのでした。

一方、日本ではまだ、家では家族の誰かが、学校では管理栄養士が、(加工品のあたため直しではなく)野菜や魚などの原材料から食事を用意し、皆で食卓を囲んで食べるのが一般的。これは本当に幸せで、絶対に手放したくない文化です。ESYのスタッフも、 日本の給食を視察し、安心で美味しい食事を皆で配膳し、皆で食べ、皆で片付ける風景に感銘を受け、それを全米にどう広げるかを思案しているほどです。

 

日本の教育現場の課題

ではなぜ、日本にもエディブル教育が必要なのか。私個人の意見ですが、日本には、3つの課題があると考えています。

1)教科の分断を乗り越えたい
畑は理科で、観察するために行う。料理は家庭科で、技術を学ぶために行う。歴史と食べることは、まったく関係がない。・・・これでは、学びが実感や暮らしに結びつきません。本当は、畑から食卓がつながり、太陽の恵みを「美味しい」といただく実感を授業で得たいところ。また、たとえば歴史でシルクロードの話をしているときに、その頃の食文化と貿易の様子を実際に手足と五感で体験するという教科横断的な学びを、畑やキッチンで体験したいところです。

2)米国同様、確実に迫りつつある経済格差の問題に対応したい
日本でも、実は6人に1人が相対的貧困層で、OECD加盟国の中での格差社会度は、メキシコ、トルコ、米国に次ぐ第4位。子どもたちの弧食や、増えつつある加工品の消費は、今後ますます深刻になるでしょう。「みんなで作って、みんなで食べる」を家庭で体験できない子どもは、日本にも増えつつあります。それをせめて学校で体験できたら、子どもたちの生きる糧となるのではないでしょうか。

3)協力・コミュニケーションの練習の場を増やしたい
異年齢の子ども同士が自然と空き地に集まり、暗くなるまで遊び、ときに喧嘩をして、ときに他の家族に夕飯をご馳走になって・・・という一世代前の日本で多く見られた風景は、消えつつあります。学校の時間内には決められた勉強をこなし、放課後も毎日習いごと。自由に決めて自由に遊び、他人と気持ちをぶつけあい、話し合い、共になにかを作り上げるような体験が希薄です。そんな中、自分の仕事を自分で選び、仲間と会話し、協力しながら責任をもって作業に取り組む畑とキッチンでの活動は、とても貴重だと思っています。

 

今こそ、エディブル・エデュケーションを

日本の理科の授業でも、トマトや大豆を育てます。でも、せっかく大豆を植えても、教科が「理科」であることに重きを置きすぎて、観察に終始し、双葉が出た、元気に育ってきた・・・と思ったら夏休みの間に枯れちゃった。ということも少なくありません。植えた種が枝豆を経てまた大豆になり、種取りした大豆を味噌にして、豆乳にして、おからを食べて、醤油を搾って…とできている学校は少ないのではないでしょうか。みんなで作ってみんなで食べること、つまり「育てるって楽しい。作れて楽しい。 わあ、おいしい!」を経て初めて、子どもたちの(そして先生の!)おなかの底に、本当に生きた学びが落ちるのではないでしょうか。

そんな「教科」を超えた畑から食卓への学びを、日本でもすべての子どもたちに届けたい。そのために、今回の研修会での学びをここに共有しようと思いました。もし、これをきっかけに、すでに日本でも実践している先生たちからも実践的な情報が集まり、皆で教えあうことができたら素敵です。

アカデミーでの具体的な学びの前に、「エディブル教育」とはなにかをおさえておきたいと思います。そして、なぜ今、栽培から食卓までの全体をいのちのつながりとしてとらえなおす学びの場が大切なのかということも。

そこはぜひ、実践者たちの声を聞いていただきたくて、映像をご用意しました。20年もの間、学校で栽培から食卓までをつないできたエディブルスクールヤードの実践者たちの声は、感動的です。「なぜ今、エディブル教育なのか」の答えとなる映像、以下のリンクより、ぜひご覧ください。

連載の第3回目は、ESY創設者のアリス・ウォータースの言葉を紹介します。